猿猴川(えんこうがわ)はJR広島駅のすぐ前を流れる川で広島に住んでいる人なら誰でも駅前の大きな猿猴橋を渡ったことはあるとおもいますが、駅から橋を渡り川沿いに南へ歩いて行くと河童の石像があることを知っている人はあまりいないのではないのでしょうか。
猿猴川には河童の石像があるよって聞いて見てみようと行ってみました。実はこの猿猴とは河童のことで広島に伝わる伝説があるそうです。
このかわいらしい河童の石像が縄文時代から伝わる「河童猿猴」。正確には「河童の一種」で全身毛むくじゃら。河童にもいろんな種類があったというのが驚きです。
段原地区の河童まつり
昔はこの川で魚や貝などを捕っていて豊漁や水難事故を防ぐ川神(水神)としてここ広島市南区段原地域で祭られているとのこと。
今でもこの川沿いでは夏の終わりごろに「かっぱ祭り」が開催され、出店がずらーっとたちならんでステージも用意され催しがあるそうです。地元の人いわく
「地域の祭りにしてはかなり大きいですよ」
と教えてもらいました。他にも別の季節にはフリーマーケットなども開催されていて、地域にこの場所が愛されているのがよくわかります。
河童まつりの様子はこちらの地域のサイトでよくわかります。
https://minami-hiroshima.mypl.net/mp/eventinfo_minami-hiroshima/?sid=65016
南区七大伝説「河童猿候伝説」とは?
立て看板に河童猿候伝説のことが書かれていましたのでここまで行けない方のためにご紹介します。直接行ってみたいという方は見ないで楽しみにして訪れるのも良いかもしれませんのでご判断下さい。
~ここから~
むかし猿候川のほとりに一軒の家がありおじいさんとおばあさんが住んでいました。
「暑うて寝とられん。水でも飲もう」
と寝苦しい夏の夜におばあさんが水を飲もうと夜中に目を覚ました時の事です。
ガタンッと音が鳴り窓から“にゅう~”っと長い手が伸びているのを見てびっくりしました。急いでおじいさんを起こして話をすると
おばあさん「おじいさん!あれはえんこうの手じゃろう!」
おじいさん「えんこうは肝を食べるんじゃ、わしらの肝を食う気じゃろう!」
とにかく静かにしたおこうと2人は放っておきました。
だれも見ていないと思ったえんこうの手がのみ流しの上にあるイワシをぐさっとつかみました。おじいさんとおばあさんは「えべせえ、えべせえ(おそろしい、おそろしい)」とみていました。
おじいさんとおばあさんは恐ろしくて眠れないまま朝を迎えました。
「昨日はえべせえかったから二度と入ってこんように窓に気を打ち付けておこう!」とおじいさんは言いましたが、おばあさんは「えんこうは力が強いけえそんなことをしても無駄じゃ!それよりもイワシのハラワタをあげようや」と言いました。
「確かにイワシのハラワタはいらんけえ、ちょおどええ。そうじゃ、えんこうはわしらの子供じゃと思えばええ!」とおじいさんも言いました。
おばあさんも「子供を育てとると思えば、何ちゅうことないのお」と言いました。
そうして、ハラワタを流しに置いて寝る事にしました。その日のうちにイワシのハラワタはなくなっていました。
それから毎晩、毎晩おじいさんとおばあさんはハラワタを流しに置いて寝る事にしました。すると不思議なことにその年に猿候川で遊んだ子供がひとりも溺れなかったそうです。
それだけではありません、おじいさんが船に乗り似島の沖へ魚を釣りに行くと釣れた魚が全部、鯛(タイ)でした。その鯛はめっぽう味がよくて町中の評判になりました。
秋になるとえんこうは決まって姿を見せなくなります。2年、3年と経つうちにしだいにおじいさんとおばあさんは「はよう夏がこんかねえ」「はようえんこうがこんかねえ」と夏を恋しく思うようになりました。
また、えんこうと出会ってふたりは大きく変わりました。周囲の人たちから
「あそこのおじいさんとおばあさんは若返った!はぶりも良くなって釣った魚の味がよくて飛ぶように売れるんじゃ」と釣り名人としても評判となっていました。
有名人になったおじいさんは80歳になっても病気ひとずせず健康そのものでした。
ですが、流し台は当時のままで知らず知らずのうちにだんだんと腐っていっていました。
おじいさんが言いました。
「のう、おばあさん。えんこうが流しで滑って転んでケガでもしたら大変じゃ。これ以上腐らんように真鍮をまいたらどうかの?」
「そりゃええ、さっそく真鍮をはめてまえや」とおばあさんも言いました。
その日のうちに真鍮をはめましたが、その日をさかいにえんこうは姿を現すことはなくなりました。
えんこうはどうして姿を消したのか。
それはピカピカの真鍮が怖かったからです。人間の手で作られたものにはどんな危険が潜んでいるかわかりません。そのことをえんこうはちゃんと知っていたのでした。
~ここまで~
それから南区の河童猿候は400年も前に橋や川、町名にもなり地域の人に愛され続けているそうです。